リソースコーチになりました。 [ラグビー]
相も変わらず足取りが重いけれど決意表明をした以上は書かねばなるまい。と渋々、書き始めたところである。「決意表明」をしていなければおそらく今しばらくは放置していただろう。決意を表明する、つまりこれは自らの考えを言葉にしておくってこと。そうやって書いたことが心のどこかに引っかかっているから、「やれやれ、ああやって格好つけた手前は書かないと」という動機がいつのまにか生まれる。これを「動機」と呼んでいいのかわからないけれど。とりあえず書けば何かが立ち上がるってことだよな、うん。
さて、いきなり話は変わるが、先週末は久しぶりに秩父宮ラグビー場に足を運んだ。ラグビーの試合を見に行ったのではなく、グラウンド敷地内にあるラグビー協会の会議室で行われた研修会に参加するためである。今年度から「リソースコーチ」を仰せつかることになったので、活動するにあたって知っておかなければならないあれこれについてレクチャーを受けたのである。
「リソースコーチ」とはいったい何か。一言で言ってしまえば、国際舞台で日本代表が活躍するために日本ラグビーのスタイルや選手の育成指針等を全国に提示する役割を担う。なんだかわかったようなわからないような、ややカタめでいささか実感に欠ける自らの文章に首の辺りが痒くなったりもするが、とにかくまあそういうことである。
2019年にラグビーW杯が開催されるのは周知の通りだが(いや、ぜんぜん周知されてませんよね。あるんです、この日本で、2019年に、アジア初のラグビーW杯が)、そこで日本はベスト8つまり決勝トーナメントへの進出を目標に掲げている。これまで一度も決勝トーナメントに進出したことがなく、それどころか1987年の第一回大会以来まだ1勝しかしていない日本にとっては高すぎる目標かもしれない。いや、「かもしれない」ではなく高すぎる、と思う。昨年秋に行われたW杯の戦いぶりを振り返ってみればそれは明らかである。
しかしだ、国内で行われる大会で予選敗退というのはやはり許されることではない。ここは何が何でも勝たねばならない。そこはある種の矜持として譲れない最終ラインであり、国際大会で戦うスポーツに課された義務でもあるとボクは思っている。
ラグビー協会はそのいささか高い目標の達成に向けて選手強化を進めてきた。その一つが2年前からはじまった「リソースコーチ」という制度である。日本ラグビーが目指す方向性を全国に示す、高校生年代からの一貫指導システムを日本全国に行き渡らせる、主たる仕事はこの2つで、実際の活動はどうかというと、全国9つの地区に分けて行われるブロック合宿に出向いて、選手への指導を行うとともに各地の指導者に対してレクチャーを行う。ミーティングでは日本ラグビーが目指す方向性をレクチャーし、グラウンドでは細かな技術・スキルや身体の使い方までを指導するのである。
ただ、各ブロックにはW杯の開催が決まる遥か昔から指導に従事されてきたコーチの方々がおられる。高校生年代のラグビーが今もさかんに行われているのは、そのほとんどが中学や高校の先生であるこのコーチ陣のご尽力のおかげである(ボクも現役時代には大変お世話になった)。先ほども書いたようにこの方たちにレクチャーすることもボクたちの仕事となる。言わば指導現場でずっと汗をかかれてきた方たちに向かって話をする必要があるってことだ。だからこそいい加減なことは話せないし、理解すべきことはきちんと理解した上で合宿に臨まなくてはならない。さらには自分自身がこれまでの競技経験から身につけた技術やスキルや知見も、きちんとした言葉に乗せて差し出せるようにしておかなくてはならないだろう。そうでなければ、何のためのリソースコーチなのかがよくわからない(と、まだ新米ながらに考えているのである)。
自分の頭を整理する意味でつらつらと書いてみたけれど、改めてここまでを読み返してみると、うん、これはなかなか骨の折れる仕事である。
当然のことながら一度の研修ですべてを把握できるはずもなく、まだこれから勉強することは山積みである。知識として理解しておかねばならないことはたくさんある。だが本質的な問題はそこにはないのだろうと思う。知識的なものは書類とにらめっこすればなんとかなるはずだ。学生の頃の一夜漬けを思い出してとにかく詰め込めばなんとかなる(いや、別に思い出さなくてもよいのだが)。だけど本当に大切なのは知識ではなく、そうした知識が生み出される元になった理念や哲学である。言わばニュアンスであり、エッセンスである。ここの共有なくして本当の意味での日本ラグビーの向上はあり得ない。この部分は決して詰め込むことはできず、実際の活動を通じながらでしか身につかないものだ。だからそれなりの時間がいる。必ず、いる。
だが2019年まであと7年しかない。じっくりと構えて活動することが理想ながらも用意されている時間は限られている。それに、そのひとつ前の大会である2015年のW杯ではベスト10を目標にしているので、この目標を達成した上でとなると残された時間はほとんどないに等しい。
どう考えてももう少し時間が必要である。しかし、十分な時間がボクたちには用意されていない。そしてここで焦れば大切なものを失う恐れもある。うーん、ムズカシイ。とは言え、やるしかないのもまた事実で、ここがとても悩ましいところである。
今のところボクの頭の中では「リソースコーチ」をこんなふうに理解している。とにかくやるしかないことはわかっているが、「やるしかないのだ!」と割り切ることの弊害として考えるべき事柄が疎かにならないようにだけは気をつけたいと思う。気をつけて何とかなる問題ではないのかもしれないけれど、とにかく気をつけておこうと思う。
という今回もまた「決意表明」になってしまった。ま、いいか。
自らを解凍すべく。 [あんなことやこんなこと]
いつのまにか新年度が始まっている。大学教員になって5年目となる2012年度はいったいどんな年になるのだろうか。ドキドキわくわく、と言いたいところだが、実はそれほど気持ちは高ぶっていない。「さて、今年もやるか」と、静かなる決意があるだけだ。経験は、きちんと積み重ねれば自信となり、落ち着きを生む。どうやら4年分はそれなりに積み重なっているようである(と勝手に思い込んでいる)。
それにしてもここ1年のあいだは筆が進まなかった。書くのをやめようかとさえ思う時期もあった。それでもやめなかったのは、このブログをやめたら何か大切なものを失ってしまうという危機感があったからだ。それが何なのかよくわからないけれど、とにかくやめてはいけないという心の声が聴こえたというわけだ。
ネットでものを書くようになってからほぼ10年、ボクの生活に「書くこと」はビルトインされていた(頻度が落ちたとしても本質的なところでは今もそうだが)。だいたい1ヶ月に10エントリーだから3日に1回ペースでブログを更新していた。大したネタがないときでも、パソコンを広げて何かしら言葉を連ねていくうちにいつのまにか話が広がっていく。すべて納得のゆく文章かと言えばそうじゃなかったけれど、たとえ理路がよれよれでスッカラカンであっても「まあ、いいか」と流せてしまうくらいの余裕があった。だからなんとなく一定のペースで続けてこられたのではないかと思う。
だがこの1年はこの「まあ、いいか」が許せなかった。正確には5回に1回くらいの割合では許せていたけど、あとの4回はぐっちゃぐちゃに丸めてポイとしてた。パソコンだから「ボタンをポチ」、か。
「なんで書けへんねやろうか」と考えることはボクのことだからもちろんあって、「毎日での連載が終わってちょっと燃え尽きてるかもな」とか、「結婚してして生活スタイルが変わったことも影響してるんかな」とかを考えてみたりしてた。3.11東日本大震災の影響があるのは言わずもがなで、その上でここに挙げたようなことを考えていたのだけれど、何のことはない。やはり3.11東日本大震災の影響がとてつもなく大きかったのだと、あれから1年が経ってようやく体感したのだった。
このことに気付かせてくれたのは『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(鷲田清一、角川oneテーマ)と『3.11を越えて― 言葉に何ができるのか』(佐野眞一・和合亮一 徳間書店)という2冊の本である。この2冊を読んで改めて言葉が内包する力というものを思い知らされた。
たった1年ではまだうまく言葉にならないだろうとは思うが、それを前提に少しだけこの1年間の自分を振り返ってみようと思う。
この1年のあいだ、あまりにも言葉が軽くなってしまっている現実にボクは戸惑い、どの言葉を信じていいのかわからずに佇んでいたのだと思う。たぶん今までずーっと。震災に関する話題を口にするたびに、言葉と自分が乖離していくような居たたまれなさを感じていた。苛立ちを伴いながらもそれでもこの問題についてはきちんと言葉にしておかなくてはならないという使命感みたいなものはあったので、「きちんと話さなきゃ」とは思っていた。でも納得のゆく言葉がうまく出てこない。どうにかこうにかいざ言葉にしてみても「そんな言葉とちゃうねん」と自分の言葉との齟齬にまた苛立つ。「でもやっぱり話さないことには何も始まらん」、そんなジレンマを抱えていた。
テレビなどのメディアからの情報を丸呑みするわけにはいかないし、その情報から派生して巷間に飛び交う噂話には耳を貸すわけにはいかない。周囲に飛び交う言説の、どれが本当でどれがそうでないのかがよくわからない。頼りになる情報が極端に少ない生活環境の中で、ボクは完全にフリーズしていた。「それっぽい話」で埋め尽くされた日常を快適に過ごそうと、目に入り耳に入る情報を見たフリ聞いたフリしていたように思う。そうすることでしかうまく生活できなかった。こんなボクはまったくもって弱虫だったとしかいいようがない。うん、情けない。でもそうだった、仕方がなかった。そう思いたい。
「わかったフリをしそうになる自分を打ち消そうとして、口を噤む」という所作を選び、ただフリーズしてやり過ごすことしかできなかった。そんな己の弱さと無知に、気付いたのである。曲がりなりにも「書く者」としての自覚に欠けていた。このことに身体感覚にずしりとくるかたちでようやく気付いたのである。
語りきれないとわかりながらそれでもどうにかこうにか言葉を紡ぐこと。すべてを語りきれそうにないという理由で言葉を手放してはいけない。語りきれなさというかたちでしか語れないものがある。語りきれないことへの信頼を忘れてはいけない。
肉体性がそなわった言葉で書き、語ること。書かれたものの棒読みや既成の価値観を咀嚼・反芻することなしにただ繰り返してはいけない。淀みなく流れるまるで手触り感のない言葉は書くのも話すもの聞くのももうしんどい。現場に身を投じてそこでしか感じられないものを訥々と言葉にしてゆく。ひたすら精一杯の想像力を駆使して紡がれた言葉に、ボクたちは心を動かされる。
こういったことからしか何も始まらないということをボクはこの2冊の本から学び直した。いや、今もまだ学び直しているといったところだ。
これから上を向いていこう。凍り付いた身体を少しずつ解しながらまた書いたり考えたりしていこう。これをもって新年度を始めるにあたっての決意表明とします。
「あたまに追いつかれないように」。 [身体にまつわるお話]
ここんところずっと頭にこびりついて離れないのは「あたまに追いつかれないように」という感覚である。ほぼ日手帳の端っこで見つけたこの言葉によっていろんなことが腑に落ちたような気がしている。たとえばゴルフだったり、「書く」ってことだったり、それから「話す」ってこともこの感覚が大切になってくるのではなかろうかと、一気にイメージが膨らんでいる。その腑に落ちたあれこれについて、今日はちょっと書いてみたい。この腑に落ちたあれこれは、到底短い文章で説明できるような代物ではなく、いつものごとくよろよろと寄り道しながらの記述になるとは思うが、どうかそのあたりはご勘弁いただきつつ、読んでもらえればありがたい。
この言葉を見つけたのは今年から使い始めたほぼ日手帳の3月6日の頁である。そこには次のように書いてあった。
_____
あたまが考えてしまわないように、どんどん描いて、あっという間に描きあげた感じでした。あたまが手に追いつくと、っていうと変な表現ですけど、そうするとどうしても作為的になるので、あたまに追いつかれないように描く、という感覚で。
———皆川明さんが『思いをのせたファブリック。』の中で———
_____
すぐさまピンときたボクはすぐに「皆川明」という名前をネットで検索してみた。すると1967年生まれでボクより少し歳が上のファッションデザイナーということがわかった。
ふーん、そうなんだ。
(歳が近いということに最近のボクは特に敏感になっていて、たぶんこれはボクの中にある焦りと不安が生み出す、あまりよくない種類の羨望なのだろう。この種の羨望、そしてそれを生み出す不安は自分を苦しめる元になると『毎日トクしている人の秘密』で名越康文先生が書いていた。気をつけないと)
と、ささやかな心の波紋を感じながら、当たり前のようにほぼ日のサイトに訪れて、この『思いをのせたファブリック』を読んでみた。すると皆川さんは昨年のほぼ日手帳のデザインをされた人だということがわかり、このコンテンツでは作品へのコンセプトや想いについてインタビュアーに語りかけている、ということがわかった。
へー、そうなんや。
(と、細部へのこだわりを熱く語る様子にフムフムとなる)
さて、普段この人がどのような仕事をされていて、どのような作品を作っているのかよく知らないけれど、とにかくこの「あたまに追いつかれないように描く」という感覚にはピンときた。この「描く」を「打つ」や「走る」や「書く」などの他のいろんな動作に置き換えてもそれは成立するのではないか。やや突飛に過ぎるかもしれないが事実そう感じたのだから仕方がない。言葉と感覚の関係性に着目すればおそらくこれらの動作にも共通する感覚だろうと思う。
たとえばこうして書いているときに「あたまに追いつかれている」状態では一向に筆が進まない。センテンスが終わるたびに「てにをは」の間違いが気になったり、ある言葉の使い方に疑問が生まれて、それが無性に気になって辞書を開きたくなったりする。「ここまで書いたらこんな批判がくるだろうな」とか、「ここはもっとやんわりとした表現にせなアカンよな」とか、過剰な自主規制モードに入ったりもする。だからもちろん書いていてもオモシロくないし、リズム感が悪いものだから途中で書くのが嫌になってくる。で、その嫌々書いたという痕跡が文章に刻まれるので、たとえ最後まで書いたとしても納得できるレベルとはほど遠い出来になる。とほほ、となる。
しかし、「あたまに追いつかれないように」書けている時はそうではない。心地よいリズムの中で次々と言葉が浮かんでくる。そのときには妙な浮遊感があって、たとえるならばまるでどこかの誰かさんが書いているかのような実感というかなんというか。言葉を綴っているのだからあたまを使っていないわけではないことは理解しているが、あくまでも実感として、つまりは強く感じられる確かな感覚としてお腹の当たりにドンと感じられるのである。
その、まるで自分の中に住まう他人が書いているような感覚の正体は、いったい何なのだろう。二重人格?分裂してる、オレ?いや、たぶん違う。この他人様の正体はおそらく「言葉になる前の混沌としたなにか」なのだと思うのだ。普段の生活の中で感じているもろもろの集合体としてあるもの、あえて名付けるならば「心なるもの」になるだろうか。夕焼けのきれいなオレンジ色、底冷えのする研究室での寒さ、近所の串カツ屋の大将の眉毛、天気予報が晴れなのに雨に降られたときのがっかりさなど、ただ生きているだけで私たちはたくさんのことを感じていて、もっと言えば私たちの身体は生活する上であらゆるものを受信していて、この「心なるもの」に感情や思念をせっせせっせと溜め込んでいる。まるでドラえもんの四次元ポケットのような(とは言え便利な道具は出てこないけれど)、未知なる感覚の集合体を私たちは抱え込んでいる。
喜怒哀楽がまるで砂嵐のように渦巻いているその「心なるもの」は、当然のように決して言葉になるべくもないもの。だからはっきりと名指すことはできないし、そのすべてを意識化することはできない。とは言いながらも、ただぼんやりと、でも身体にはハッキリとした手応えとして感じられるものでもある。その「心なるもの」を覗き込み、だんだん熟成しつつある記憶をつまみ上げてひとつひとつ言葉にしていくという作業が「書く」ということの本質だろうと思うのである。
この「心なるもの」に正直に、またかつて自分が感じた諸々に忠実な文章を書こうとすれば、「言葉ではなく感覚を先行させること」が肝になる。言葉で考えているときはすべてあたまが先行している。これをこうして、ああして、という風にどうしても作為的になる。そうではなくて、あくまでも感覚を先行させること。明確な根拠がない中でただ心の赴く方向に歩みだしてゆく。この時の実感はまさしく「言葉がない」状態にある。もしかすると人によってはただボーッとしているだけだと感じるかもしれない。
ただ厳密に言えば言葉がないわけではない。ここにはないだけで心のどこかには確実に、ある。「今ではない過去にたっぷりと考え尽くした痕跡」としてわずかな気配を発するという仕方で存在している。ここらあたりのニュアンスというか感覚が、とてもややこしい。でも、とてもとても大切なところだ。
だからたとえば「打つ」(ゴルフですね)というのも、これと同じように考えることができる。グリップがどうだとか、左サイドで壁をつくるとか、いろんなアドバイスが言葉として頭をよぎっている間は絶えずそれを打ち消そうとしてスイングに集中できない。だから言葉を中和することでその袋小路から脱出できる。その中和の仕方におそらくほとんどのゴルファーは悩んでいる(と100を切ったあたりでウロチョロしているボクが言うのもおこがましいですが)。あたまに浮かんでは消えないアドバイスの数々が、帰ってパフォーマンスの向上に支障を来している。
さて、このへんでまとめてみる。
言葉と感覚は相容れないもの。で、両者の関係性を考える上でどのような仕方で相容れないのか。それは時間差だった。この気付きがボクにとってはとてもとても大きなことだったのでした。「言葉を手放す」「無意識に沈めておく」などいろいろな表現ができると思うけど、ボクにとっては「あたまに追いつかれないように」、つまりは両者の関係性を時間差として解釈することで、うまく言葉の呪縛を解き放つことができそうな気がしている(ひとまずはいろんな場面で実践しているところです)。
パフォーマンスが重視される現場でも当然のごとく言葉は大切で必要。ただしうまく付き合わないとパフォーマンスの向上を妨げてしまう。だから、言葉は手放したり、無意識の中にそっとしまっておいたりしないといけない。こうした関係性のもとにポランニーがいうところの『暗黙知』がつくられていく。そんなふうに今は考えています。
振り返ればヤツがいて、オレもいる。 [ラグビー]
自らの内奥から湧き出てくる考えとそれを象る言葉。それらはいったいどこからやってくるのかというと、おそらくは自分ではない。自分の内奥から湧き出てくる、と言っておきながら実はそことは違うところからやってくるというのは明らかに論理矛盾ではあるが、実感としてそう感じるのである。自分の奥底を掘っていくと突き当たるのは自分ではなく「他者」である。確実に自分の心の中にあるのだが実感として自分とは言い切れないまるで他人のように感じられるもの、それが「他者」だ。
かつての自分が経験したあれやこれも、今から思い返せば本当にあれをしたのが自分だったのかと思えたりすることがある。酒に酔った時などにたまに見返したりする現役時代の試合には、当たり前だけどボクが出場している。なかなかええ走りをしているなあとか、今のは情けないプレーやなあとか、懐かしさで身体を満たす時間を楽しんでたりするのだが、ふと「これって本当にオレなんだろうか」と過ることがある。あまりにも現在と違いすぎるその自分を、心のどこかで疑ってしまう自分がいるのだ。
映像に映る「それ」はまぎれもなく自分である。これはどう転んでも揺るがない現実としてある。ただ「それ」を把握する自分は間違いなく2人いる。1人は現役選手としてその当時を生きた自分。この自分は肌感覚で当時を覚えている。五感で記憶している自分とでも言おうか。忘れたくても忘れられないほど強烈に刻印された記憶としての自分である。
もう1人はその自分を「それ」として眺める自分。つまり言葉で捉えようとするボク。幾ばくかの客観性をもって言葉や数字を宛てがい、あの頃の自分が経験したものを一つの物語に仕立てようとする自分。あれやこれやと考え過ぎて、ときに迷宮を彷徨い始めたりするのがコイツだ。
あの頃の自分はどのようなことを感じていたのだろう、ある試合のある場面ではどんなことを考えながらプレーしていたのか。こうして考えれば考えるほどに今の自分とあの頃の自分が乖離していくような気分に襲われる。考えれば考えるほどに今の自分とあの頃の自分は別人のように感じられて仕方がない。この状態を放っておけばどんどん乖離してゆき、やがてひょっこりと「他者」が表れるのである。
たとえば、大学3年時の花園で行われた近畿大学との試合で、自陣22mライン付近でこぼれ球を拾った味方選手からパスを受けてそのままトライしたシーンがある。今でもはっきりと思い出されるのはボールをキャッチする瞬間の映像と、「このタックラーを外せばトライだという確信」をもってライン際を走ったときの映像。連続攻撃をしたあげくの相手のミスをトライにまで結びつけたプレーとして、「してやったり!」という悦びとともに胸に残っている。
感覚的におそらくはいつまでも記憶に残り続けるプレーになるだろうが、このプレーに奥行きと彩りがもたらされたのは、引退後に改めてこのプレーを考察したからである。なぜ「このタックラーを外せばトライだという確信」が芽生えたのか。これは歓声が大きく影響している。あのときを振り返れば確かにボールをもった瞬間に歓声が大きくなった。このときの歓声のざわめき具合からボクは「トライまでの予感」を感じ取ったのだと思われるのである。
観客は俯瞰的な目線でグラウンドを見下ろしている。それはつまり選手目線からは見えないスペースが見えているということである。だからこぼれ球を拾ってパスがつながった瞬間に「あと1人躱せばトライだ!」と気持ちが高ぶった。おそらく観客席から見たら一目瞭然な大チャンスだったのだろう。その気持ちの高ぶりが「おおっ!」という声として発せられた。一つ一つの声に込められた気持ちの高ぶりが束になって歓声となり、それを耳にしたボクは「これはチャンスに違いない」と判断して勝負を仕掛けることができた。つまり、歓声の強弱、大小が一つのプレーを判断する材料となっていたのである。
という具合に記憶は上書きされていくのだと思うのだ。その上書きされた記憶が冒頭で書いたところの「他者」というわけなのであった。
ただ感覚で捉えただけの自分だけにしかわからない記憶は、明らかに自分とは地続きであることが実感される。しかし、その記憶に言葉が宛てがわれた途端にどこか他人事のように感じられるから不思議である。裏を返せばそこには「新たな自分」が立ち上がるとも言えるわけである。すなわち「他者」が表れる。
とは言え両者ともに自分であることに変わりはないわけで、できることならお二方とも仲良く共存していただければそれに越したことはない。無理矢理に同一人物だと断定するのではなく、あちらの自分とこちらの自分と区別した上で仲良く棲み分けるというかたちでぜひとも共存していただきたいものである。毎度ややこしい話ですまない。
「話す」への向き合い方。 [身体にまつわるお話]
目まぐるしい日々を過ごしているうちに2月も終わろうとしている。1月は入試と試験、さらには2月の第2週に予定されているスキー実習の準備で忙殺されるのは毎年のこと。「採点の祭典」を乗り越え、スキー実習も大きなケガ人が出ることもなく無事に終えることができて、本当にホッとしている。ふう。これで今週末に控えている浜松での講演に集中することができるというものだ。
その講演のお題は「スポーツが子どもたちにもたらすもの」。結果が重視されるプロスポーツではない「子どもにとってのスポーツ」という観点から、自らの競技経験を踏まえてあれこれと話をしようと思っている。これまでに何度も言っているが「生きる力を伸ばすスポーツのあり方」について話そうと思う。主な内容としては、スポーツ科学の暴走、数値主義の弊害、暴力や恫喝による指導が及ぼす影響、運動指導の適切なあり方、言葉と感覚の関係性などになるだろう。話の筋道だけは立てておいて、あとは思いつくままに話ができたらと思う。もちろん準備は入念にするつもりだ。
ただし直前になればいったんそれを忘れるように努める。これは現役時代に試合に臨む姿勢とまったく同じ。「すべて覚えてすっかり忘れる」。たとえ大切な情報であっても敢えて意識の奥底に沈めてしまうからこそ、咄嗟の判断が必要とされる場面で勝手に身体が動くのである。「ここはキックで攻めてくるはず」という直感は不意に浮かぶもの。いくつかの選択肢の中から恣意的に選び出すような仕方では浮かばない。意識の奥深くに沈殿している様々な情報の中からその場に適切な一つを選び出すのは無意識の仕事なのだ。
学生への講義や講演などを行うようになって思うのは、「話す」もまた身体を使うことに他ならないのだということ。場の雰囲気を察知し、それに応じて話題を変え、話すテンポを気遣いながら喩え話やエピソードをあいだに挟みつつ、話をする。聴き手に深く染み込むように話すには、ただ頭を整理して口を動かしておけばよいと思ったら大間違いである。「話す」ことは五感を研ぎすませて身体全体を使うことを要請する。そう解釈しているボクは、だからラグビーの試合に臨むかのように講演や講義に接しようと心がけているのである。
わかっている。こうした話し方はあくまでも理想的に過ぎるわけであって今のボクには到底うまくできないことは百も承知しているつもりだ。話の筋が次につながらなくて同じ話を繰り返したり、その焦りを抑えきれずに暗記しておいたトピックを書き言葉のままに話してしまったりすることは、しょっちゅうある。それこそパワーポイントを使って順序よく話せばそれなりに滑らかな講演になることはわかっているのだが、でもそうはしたくないのだ。体裁を整えるくらいなら今まさに自分が考えていることを話したい。訥々と話すことを手放したくない。うまく話せなくて講演後に落ち込むことはあっても、ね。もちろんそれなりの結果は出すつもり。いや、出してやる。がるる。
と意気込みつつも実のところ腹の中は不安でいっぱいだったりする。しかしここはボクにとって一つの挑戦なのだな。この不安を解消すべく入念に準備を行うことでしか乗り越えられない壁がある。たぶんこの壁の向こう側はにぎやかで楽しそうなそんな気がするから、これからもそこを目指してジタバタしようと思う。それにしても「話す」ことは難しい。だからこそ相手に伝わったと感じられる瞬間は何ものにも代え難いほどの高揚感が得られる。難しいけど楽しい。難しいから楽しい、だな。さてと。
女子サッカー・川澄奈穂美選手の取り組み。 [スポーツあれこれ]
現在発売中の『Number Do』(winter 2012)を読む。サッカー女子日本代表の川澄奈穂美選手が両手で力こぶを作りながら振り返っている表紙のそれである。その川澄選手のちょうど腰のあたりに白い文字で、“理想のカラダのつくりかた。”と書かれている。また筋トレやバランスのとれた食事などの効率的に筋肉をつける方法が、これでもかとばかりに綴られているんだろうなと、テーマにはほとんど惹かれなかったものの、川澄選手の逞しい後ろ姿に思わず目が留まり手に取ってしまった。いや、逞しい後ろ姿ではなくその可愛い笑顔に、というのが本音である。
その愛嬌のある笑顔で人気急上昇中の川澄選手が目指す理想のカラダは、なんとケモノだそうだ。見ていて美しいカラダではなく、ケモノ。さすがは世界一に輝いたチームのメンバー、掲げる目標がひと味違う。その字面からは臭いすら漂う「ケモノ」なカラダは、ボクが解釈するところによると、おそらく「動物的なカンが働くカラダ」だろう。その瞬間瞬間に訪れる情況において常に最適なプレーが選択できるカラダ。頭で考えるまでもなく独りでに動いてしまうカラダ。まさにケモノが身を翻すようにしてボールに迫る。その容姿からは到底想像できないけれども、そのギャップがさらに大きなインパクトを与えている。
そうなのです、ボクは川澄選手のファンなのです、ここまで書いてきて敢えて言うまでもないことでしょうけれども。
「ケモノなカラダ」がロングスパンでの目標だとすれば、もう少し手前には「疲れないカラダ」という具体的な目標を掲げているという。決して大きくはないカラダで世界と戦うために必要なのが「疲れないカラダ」であり、日々、こうしたカラダづくりを意識しつつ練習している。確かに試合を見ればグラウンドを縦横無尽に走り回っている印象がある。その上、ある試合では瞬間的に時速30km(100mにすると12秒)が出ていたというのだから、ときに全速力をしながらもずっと走り続けるその能力には恐れ入る。
疲れないカラダ、か。そんなカラダになれたらどんなにいいことだろう。現役を引退した今となっては日常生活においてということになるが、そうなるとカラダよりも心の部分における取り組みが重要になるのは火を見るよりも明らか。人間関係を円滑にするためには、というような視点でね(ってなんのこっちゃ、脱線、失礼)。
でもこの疲れないカラダとは、言ってしまえば効率的に身体を使うってことで、つまりのところは筋肉に頼らず骨や関節などの身体構造を生かして動くことに他ならず、これって武術的な身体運用ってことだ。行き着く先はやはりここなのだな。なるほど。
以下は興味深いなあと感じた箇所。
・カラダづくりが好きなので無意識にトレーニングをやっているから「やってる感」があまりなく、歯磨きやご飯を食べるように日常の一部となっている
・試合の1日前と2日前はカラダとの対話を心がけている。試合でパフォーマンスを発揮するために、もっと動いておきたいと思えば攻守の切り替え時などで意図的に走り込み、あまり動かなくても大丈夫だと思えば適当にサボる
・朝、昼はあまり量は食べず、夜は自炊をしてバランスよく食べる。食事の内容はあまりこだわり過ぎないようにしている
スポーツ選手に抱くイメージとしてのストイックさとはまるで毛色の違う取り組みであることは一目瞭然。手応えばかりを追い求めてゴリゴリに行う練習ではなく、試合でパフォーマンスを発揮することを第一に考えながら身体と対話をするような仕方で取り組む練習をし、とんでもない量だったり、サプリメントから栄養素までびっしりと管理された食事ではなく、あくまでも楽しむことを前提とした食事をする。これが世界一に輝いたチームの一員の、スポーツへの取り組みである。
川澄選手以外にも取り上げたい人物がいるのだが、それはまた後日。
この『Number Do』、おススメですよ。






