追い込み型指導は一つのソリューション。 [スポーツあれこれ]
今日は朝から研究室に缶ヅメで論文を書く。テーマは「子どものスポーツ教育が目指すべき方向性について―追い込み型指導の是非を問うー」。こうしてカタめのテーマを作らなアカンところが今でもまだ馴染めずにいる。論文っていったい何なんでしょうかねえ、という疑問が拭えないままにこうして書き連ねているところが難点。でもこれは致し方がないところで。で、どうせならボク自身がわくわくせなアカンでしょ、ということで楽しげなテーマを見つけることで開き直りつつ書いているのであります。
スポーツ教育の問題を考え始めたときからずっとモヤモヤ抱えていたのが、追い込み型指導の是非について。怒鳴られたり、ときに暴力をふるわれたりしながらスポーツやるのって、何がおもろいねんと思っていた。もちろん今も思っている。そんなん絶対アカンやろと強く強く思っている。そんな馬鹿げたことあるかいな、と思ってる。
ただね、ボクの周りにはそうした環境の中でラグビーに取り組んできた人がたくさんいて、そのみんなはとてもエエやつで、だから実は追い込み型指導にも利点はあるのではないかと、おそらく心のどこかで思っていた。というよりそう思いたかったんやろうなあ。ボク自身もそれなりに追い込まれてきたわけでもあるし。だから頭ごなしに否定することはどうしてもできずにいた。どこからどう考えても追い込み型指導はアカンねん、アカンねんけれども、それは頭ではわかってんねんけれども自らの人生を肯定したいがための願望として心の奥底にあったんやねえ。そういう思いが。身体がそのことに居着いていたのだと思う。
言うなればそこをどのようなロジックで乗り越えていくのかという問題を抱えて少しばかり停滞していたのだ。でもね、そこんところは『教える力、育てる力[セオリービジネス] 』のウチダ先生の記事を読み、それからコウノ先生の『表の体育 裏の体育―日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛練法 』をまたまたまた読み返してみて、その他のもろもろの著書からも、ラクロス指導からも某かのヒントを得て、それらが一つにまとまって、スッと腑に落ちたのであった。
つまり追い込み型指導はソリューションの一つとしては十分に機能するんだと認めてしまえばいいのだということ。
ただし善し悪しは別の問題で、追い込み型指導は短期間で見違えるほど競技力が向上するという効果を発揮する半面、欠点もあって、それは「胆力」がつかないってこと。ここが実のところはとても大きな問題として横たわっている。これはスポーツだけにとどまらずあらゆる分野における教育の問題として、ボクたちは意識しとかないといけない。だからこのあたりをちょっと丁寧に論じてみようと企てているのである。これは楽しいよー。だって、自らの経験に意味付けをする試みだからねえ。
何時間もずっと書き続けてきて頭の中がかなり煮詰まっている状態だから今日のところはこの辺で筆をおくことにするが、論文で形式的な文章で書いた後だけにものすごく滑らからにキーボードを叩けているのが今とても心地よい。何事も「行ったり来たり」がよいのだということにも気付かされたところで帰路につくことにします。明日は加東市までラグビー指導に行く。アップシューズと着替えを持って帰らなければ。移動しながらのツイッターも楽しみだな。うん。
スポーツ教育の問題を考え始めたときからずっとモヤモヤ抱えていたのが、追い込み型指導の是非について。怒鳴られたり、ときに暴力をふるわれたりしながらスポーツやるのって、何がおもろいねんと思っていた。もちろん今も思っている。そんなん絶対アカンやろと強く強く思っている。そんな馬鹿げたことあるかいな、と思ってる。
ただね、ボクの周りにはそうした環境の中でラグビーに取り組んできた人がたくさんいて、そのみんなはとてもエエやつで、だから実は追い込み型指導にも利点はあるのではないかと、おそらく心のどこかで思っていた。というよりそう思いたかったんやろうなあ。ボク自身もそれなりに追い込まれてきたわけでもあるし。だから頭ごなしに否定することはどうしてもできずにいた。どこからどう考えても追い込み型指導はアカンねん、アカンねんけれども、それは頭ではわかってんねんけれども自らの人生を肯定したいがための願望として心の奥底にあったんやねえ。そういう思いが。身体がそのことに居着いていたのだと思う。
言うなればそこをどのようなロジックで乗り越えていくのかという問題を抱えて少しばかり停滞していたのだ。でもね、そこんところは『教える力、育てる力[セオリービジネス] 』のウチダ先生の記事を読み、それからコウノ先生の『表の体育 裏の体育―日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛練法 』をまたまたまた読み返してみて、その他のもろもろの著書からも、ラクロス指導からも某かのヒントを得て、それらが一つにまとまって、スッと腑に落ちたのであった。
つまり追い込み型指導はソリューションの一つとしては十分に機能するんだと認めてしまえばいいのだということ。
ただし善し悪しは別の問題で、追い込み型指導は短期間で見違えるほど競技力が向上するという効果を発揮する半面、欠点もあって、それは「胆力」がつかないってこと。ここが実のところはとても大きな問題として横たわっている。これはスポーツだけにとどまらずあらゆる分野における教育の問題として、ボクたちは意識しとかないといけない。だからこのあたりをちょっと丁寧に論じてみようと企てているのである。これは楽しいよー。だって、自らの経験に意味付けをする試みだからねえ。
何時間もずっと書き続けてきて頭の中がかなり煮詰まっている状態だから今日のところはこの辺で筆をおくことにするが、論文で形式的な文章で書いた後だけにものすごく滑らからにキーボードを叩けているのが今とても心地よい。何事も「行ったり来たり」がよいのだということにも気付かされたところで帰路につくことにします。明日は加東市までラグビー指導に行く。アップシューズと着替えを持って帰らなければ。移動しながらのツイッターも楽しみだな。うん。







「追い込み型指導」は絶対にいけないと思っていますが、そんな指導を受けてきた、平尾先生と同年代の1人です。
個人的にも非常に興味あるテーマです。
このブログに公開されるのでしょうか?
どのように論じられるのか楽しみにしています。
by 剛史から剛にどうして変えたんですか? (2010-03-18 09:47)
>???さん
現象学的手法で論文を書いているところです。したがってここで公開はしません。すみません。ここにはやや砕けた表現で書きたいなと思っていますが、それがいつになるのかは今のところよくわかりません(汗)。
by CANVAS (2010-03-24 14:24)