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教えるのはほんとうに難しい。

大学で講義をするようになって今年で7年目になる。


もう7年か、まだ7年、か。大学に赴任して間もないころの、90分を言葉で塗りつぶそうとしゃべりまくっていた姿を思い出せば「もう7年」だが、師と仰ぐ方々の、学びの場を作り出す柔らかい語り口の講義を思い浮かべれば「まだ7年」である。「うまく間をとる」、それはすなわち言葉と言葉のあいだを意識しながら話すことで、徐々にではあるがそれができつつあるんじゃないか、根拠はないがなんとなくそんな気がする、というかすかな手応えを最近は感じていた。


こちらがうまく話せたと思っていても、伝わったかどうかはまた別問題だ。こちらの伝えたいことが伝わったか否かは学生本人にしかわからない。直接、訊ねてみたところでそれは「言葉になる部分」でしかないわけで、しかもその学生の語彙が乏しければさらにその何分の一しか把握することはできない。できてもやっぱりそれは「言葉になる部分」でしかない。


本来教師が伝えるべきことは、言葉にならない部分やなりにくい部分にそっと侵入するもの。体感的には「ガツンとくる」。「ふーん」とか「へー」とか静かな驚きのときもあれば、「なんかすげえ!」と興奮を伴うときもあるけれど、僕が言うところの「ガツン」はこの両方ともを指している。従来の価値観にかすかなヒビが入るというか、揺さぶられるというか、そんな状態だ。それがやがて時間の経過とともに熟成される。そのうち日常的な経験と劇的に結びついて、「そうだったのか」と腑に落ちる。


今はわからなくてもいずれわかるときがくる。必ずくる。それを信じないと講義はできない。でも、ときにこの信が揺らぐ。なぜだか理由はわからないが、いやいくつも理由はあるのだけれど、そのときにふと不安が襲う。そして感情的に心の針が傾いて、あわわとなる。


先生はとにかく待たなければならない。そうなのだけど、それはわかっているのだけど、どうしても待てないこともある。どうしても待てないときもある。


「うまく間をとる」とか、それができつつあるからといってよろこんでいる場合ではなかった。とかく教えるというのは難しい。ほんとうに。


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