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「小さな約束」を守ることから。 [あんなことやこんなこと]

この場で書くと決めてから2ヶ月以上が過ぎた。7月は一度も書かなかったし、8月も既にお盆を過ぎて9月が目前に迫っている。つまり前回のあの決断はまるっきりの嘘だったということである。自らの意志の弱さには閉口する他なく、期待してブログを訪れていた方々にはひたすら頭を下げるしかないわけで。


ほんまにすんませんでした。


毎回そうなのだけれど、「今回こそはなんとしても!」と思い過ぎるがゆえにえらく力んで構えてしまう自分がいて、結局のところそれが空回りして放置するに至るわけで。「書けない理由」には心当たりがある。それはいいものを書こうとする結果重視の心的傾向で、これがいつしか僕の中に芽生えてしまっている。ぶっちゃけていえば「恐怖」だな。正直に言います、びびってるんです。それがわかっているからこそ、「書きます宣言!」という既成事実を作って乗り越えようとはしたものの結果はご覧の通り。書けないだけならまだしも、読者の信頼を失いつつあるのだから、なんとも項垂れるしかない。


ほんまにごめんなさい。


信頼を築くためには小さな約束を守ることから。そういえば、現役時代からお世話になっているバーの店主が口癖のように言っていたっけ。大きな約束はほとんど誰もが守ろうとする。その約束に関わる人数も多いため、たとえ煩雑さを感じようとも守らないわけにはいかない。でも「小さな約束」は違う。ふと口につく何気ない一言で、当事者は「わたしとあなた」であることが多い。別に守らなくてもその関係性がすぐに壊れることもなく、忘れ去られることがほとんどだ。だから、「必ず守ろう」という心がけがなければ守ることが難しい。


信頼は「小さな約束」を守ることで築かれていく。少しずつ、少しずつ、重ねゆくことでしか築かれることはないんだろうと思う。こんな大切なことを、僕はどこかでおざなりにしてしまった。だからこその「書けない」であり、「書けないんだ」と思い込ませるほどの不安定さを呼び込んでしまったのだろう。

とすればやり直すのはここからだ。ブログだけでなく私生活を振り返ってみても、「小さな約束」を反故にしてきたかもしれない自分がちらほら浮かんで落ち込むばかり。少しの心がけでできることでも、それを何年も継続することがどれほど難しいか。「継続は力なり」という言葉の重みがずしんと響くのだった。


まっ、てなわけで、これからはぼちぼちと書いていきますね。


以前にも告知しましたけど、現在は2本のウェブ連載をしておりまして、ひとつは隔週連載中の『みんなのミシマガジン』の“近くて遠いこの身体”。もうひとつは、不定期連載の『住ムフムラボ』の“スポーツ、観るする”。この画面の右上にリンクがありますので、ぜひとも読んでくださいね。


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書くと決めたというわけです。 [あんなことやこんなこと]

おっとまたもや宣伝広告が軒先を占拠しておる。それだけ更新を怠っていたんだなあと自らを省みつつ、慌ててブログを書き始めた月曜日の夜。本日は学生が教育実習をしている学校への訪問のために、一日中、姫路辺りを車でウロウロしておりました。どの学生もしっかり取り組んでいた様子にホッと胸を撫で下ろしての今ということになります。みなさん、こんばんは。


これだけ更新が滞っていれば多くを語らずともわかるかと思うが、書くことへの意欲がどうにもこうにも湧いてこない時期がずっと、ほんとにずーっと続いていた。2011年の秋に毎日新聞への連載が終わってどこか気持ちの上で、あるいは書かなければならない緊張感みたいなものがプツンとキレてしまったかのようで、どうにも気持ちが乗ってこなかった。乗らない気持ちをどうにか奮い立たせようとあくせくして、そのジタバタでさらにテンションが下がるという悪循環に陥っていた。


だがそんな負のスパイラルももう終わりだ。ミシマガジンの連載が決まり、次いで住ムフムラボでの連載も始まって、そんな情けないことを言ってられない情況になって、徐々にではあるが気持ちが上向いてきているのは間違いない。これをきっかけにまた書きまくってやるぜと、いつぞやの好感触が戻ってきつつある気配がマンマンなので乞うご期待である。今度こそ本当である。


てな具合に半ば強引に意欲の減退傾向を打ち破ろうとしているわけだ。しかしこれはれっきとした一つの方法だ。意欲というのはやり始めないと湧いてこないものなのだ。確か以前に読んだ池谷裕二氏の本にそう書いてあった。そのことをすっかり忘れていた。大切なことはいつのときも失念してしまうものなのかもしれない。だから書かなくてはいけない。おお、そういうことか。


いいものを書こう、これぞというものをきちんとしたかたちにして差し出そう。そう思い過ぎると、だんだん書けなくなってゆくことがよーくわかった。それから、これまで一度も書いていない新しいことを書こうとし過ぎると、なーんにもネタが浮かんでこなくなることも、よーくわかった。一人の人間が考えることなんてそう大して変化するものではないのだからして、自分が興味を抱くことをじっくりゆっくりスルメを噛むようにして深めていけばいい。しかもパッケージを気にすることなく思考の軌跡をなぞるだけでいいのだ。


とにもかくにも考え過ぎだったことだけは確かで、つまりは頭の支配からどれだけ自由になれるかが大切なポイントだ。固定観念や社会通念にしなだれかかろうとする頭の支配から逃れるために、さしあたって思いつくのは身体を動かすこと。そもそもこれまでの僕の人生は身体を動かし続けてきたわけだから、そこが緩むともうどうしようもなくなる。いまさら頭だけを使って思考することなどできやしなくて、無-意識を司るいわゆる「こびとさん」に何とかしてもらわないと立ち行かない。てなわけで、もう一度、原点に戻って、身体を鍛え直しつつ書き散らかしてやろうと思う。


明日は雨、か。ようやく梅雨らしくなる、かもね。


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新年度に入り1周目が終わったとこです。 [あんなことやこんなこと]

新年度になってから初のブログ。こんにちは。


講義・実技・演習が1周して、とにもかくにも一段落ついた。今年度から2コマ増えたのでそれなりに準備が大変で、自己紹介のパターンに若干のバリエーションをつけつつ、1回目を終えたのでした。各講義・実技で、なんとなくではあっても学生たちの雰囲気を掴めれば講義の準備がスムースにできるようになる。「学生たちの学習レベルに合わすことができるようになる」という意味ではない。ここは強調しておかなければいけない大事なところで、目線を落として講義内容を簡単にすることはしない。そんなことをするのは学生に失礼だからだ。そうではなくて、学生たちの興味関心が及ぶ範囲を肌感覚で感じること。これを積み重ねることで、やがて適切な喩え話が口をつくようになる。言葉の通り道をつくる、すなわちプラットフォームを形成するための第一歩という意味で、学生たちの雰囲気を掴むことが大切だと思うのである。


たった1回の講義でなにがわかるのだ思われる方もいるかもしれない。でも、たった1回の講義でもそこにたくさんの「顔」があることは十分に感じられる。たった1回で名前と顔が一致するなんてことなんてもちろんあり得ないし、15回を終えたあとに一致することもおそらくあり得ないだろうけれど(えっ?)、学生たちの「まなざし」に晒されることで立ち上がってくる何かが確実にある。たとえこちらが一方的に話しただけであっても、学生たちは某かのリアクションを必ず返してくる。わずかな頷き、眉間に、机に突っ伏すなどなど。こうしたシグナルにどれだけ開いていられるかで言葉の通り道の出来具合が変わる。これはたった1回の講義であっても、わかる。もちろんうまくいきそうにないことも、わかる。


だから講義というのはまるで生き物のようで、とてもオモシロい。そしてとてつもなく厳しい。油断したり気を抜いたときは言葉が出てこなくなるし、それに応じて学生たちの「まなざし」から輝きが失われる。そんな講義のあとはいつも研究室のデスクで暫しの放心状態に陥る。とほほ。


「寒の戻り」にすっかり体調を崩してしまった。鈴蘭台は当然のようにとても寒い。ストーブに足をかざしながら、特に放心状態になることもなくこうしてブログを更新しているのは、だからそういうことなのである。


追記:
3月末に収録したラジオデイズ「コペルニクスの探求」が発売されてます。体罰問題についてや神戸製鋼の強さの秘密なんかをぼそっと語っています。皆様よければぜひお聴きください(500円かかりますけれど)。
(⇒http://www.radiodays.jp/item_set/show/641


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ラジオや雑誌や新連載の告知です。 [あんなことやこんなこと]

「三寒四温」というのは冬場の厳寒期に使う言葉らしい。春が待ち遠しいこの時期を言い表す言葉ではないということを知り、春の訪れの予感をこの言葉で形容するのはもうやめにしようと心に決めたばかりだったのだが、だからといって「それにしてもここんところは三寒四温が続くなあ」という体感はすぐに消失するわけではなく、さてどうしたものかと立ち尽くしている。「寒の戻りが小刻みに続いている」と表現すればよいだけかもしれないが、やはり「三寒四温」がしっくりくるのは長らくそういう風に使ってきたからである。言葉には辞書的な意味だけではなく、体感やイメージがべったりと張り付いている。「三寒四温」と<春の到来を予感させる時期の体感>は、僕の中では分ち難く結びついているということだ。ま、徐々に補正していくとするか。


さて、今日は幾つかの告知をしておきたい。


まず一つ目。


数日前にぼそりと呟いたけれど、リーガロイヤルホテルの広報誌『THE ROYAL』の旅ページを担当しました。“新島八重ゆかりの地を巡る、「幕末の京都」の旅”ということで、新島旧邸や金戒光明寺などを紹介しとります。3月31日発行で、ロイヤルをはじめ全国の系列ホテルで配布されるので、よろしければぜひ手に取ってみてください。


「旅としてまとめる」という文章を書くのが初めてだったので当初は多少の戸惑いもあったのですが、『THE ROYAL』の制作を手がける【140B】の担当者が実に手際よく導いてくれたおかげで楽しく書き上げることができたのでした。道田さん、大変お世話になりました。


次に。


ラジオデイズに出演することになりました。「コペルニクスの探求」というコーナーで、平川克美さん、小笹芳央さん(リンク&モチベーション)と鼎談します。「体罰や根性やモチベーション」についてあれこれ話をする予定です。体罰問題をきっかけに日本でのスポーツ教育が向かうべき方向性について、あれこれ話ができればいいなと目論んではいますが、あっちこっちに話が迂回するのは必至で、それが何よりの楽しみだったりします。さて、どうなることやら。日時は3月27日19時〜20時半。USTREAMで視聴することができますので、こちらもどうぞお楽しみに。


そして、もう一つ。


なんと『ミシマ社』「ミシマガジン」にて連載が決まりました。かつて江弘毅さんや近藤雄生さんの連載を読みながら、いつか僕もここで書ければなあと密かに願っておりましたもので、念願叶っての連載というわけです。悪戦苦闘している書き下ろしと並行しながらの連載ですので、こちらは少し肩の力を抜いた文体で攻めてみようと画策しております。どうぞよろしく。


ちなみに「ミシマガジン」は4月からリニューアル創刊をするそうで、WEB上だけでなく紙媒体の月刊誌としても発行されます。
(詳しくはこちら→http://www.mishimaga.com/minna/001.html
ぜひともサポーターになって「ちゃぶ台みたいな総合雑誌」を手に取ってみてください。こんなタイミングで執筆陣に加われたことを心よりうれしく思っています。三島さん、本当にありがとうございます。


それから、セキスイハウスのWEBマガジン「スムフム」にも連載が決まりました。月2回、「スポーツ、観るする」というテーマで書きます。こちらは生活実感に軸足を置いてやんわりと書いていこうかなと思っていますので、どうぞお楽しみに。


なんだか一気に仕事が舞い込んできたのでどこかフワフワした心境で落ち着かないのが正直なところ。でもそれと同時にワクワクしているのも事実で、これまで以上に日常生活でがアンテナを張り、感性を研ぎすますべく身体を開いておかなくてはと今から意気込んでいる。着実に、でも淡々と書いていこーっと。


それでは皆様、どうぞよろしくお願いします。



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まずは軒先のお掃除をしよう。 [あんなことやこんなこと]

新年の挨拶もしないままに20日も経ってしまっていたようである。今さら感は拭えないながらも、しかしこういったことはすませておきたい気持ちもまたある。


というわけで、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。


すっかり放置しっ放しのこのブログであるが、有り難いことに訪問してくれる読者の方が一定数おられる。延べではあるが数百人の方が足繁く通ってくれているのかと思うと本当にうれしいかぎり。どうもありがとうございます。ただそれと同時に、こうして足を運んでくれている人たちを裏切り続けているのだなと心が痛んでもいる。本当にすみません。すっかり筆無精になりつつある昨今の自分に苛立ちつつも、こうして書くことに慎重になっている今の自分を客観的に観察して楽しんでたりもするから、スランプ絶賛進行中なのである。


書くことが滞るのにはおそらく何らかの理由がある。「とにかく書く宣言」を幾度となくしてきたにも関わらずそれでも書けないのだから、心の奥深いところで某かの地殻変動がおきているのだろう。そこはかなりの深部だろうから、あれこれと意識の上でジタバタしてももうどうしようもない。だからジタバタはやめることにした。いつか何かのタイミングで書きはじめる時を待つことにした。


なのに今日ふと書き始めたのはなぜか。久しぶりに訪れたこのブログに「起死回生の薬用シャンプー」というアデランスからの商品広告がばーんと出ていたからである。これには「ムッとした」。ちょっとほったらかしていた自分の店の軒先に見知らぬ人がやってきていきなり商売を始めたようなものでしょう、これは。もしくは僕の許可を得ずに自動販売機を置いていったようなもの。しかも店の扉の前にドーンと。


さらにもうひとつは、文中のいくつかの言葉にリンクが張られている。時代の流れからいうとこっちはまあ仕方ないのかもしれないが、青色と黒色の文字が継ぎ接ぎされた文章って見た目には格好悪く映るから個人的にあまり好きではない。ただでブログをやっときながら文句言ったらアカンでしょ、という突っ込みはもっともだが、しかしねえ。なんでもかんでも商業ベースで考えるのはもうやめましょうよ。てな小言の一つや二つは言っとかないと気が収まらないというものだ。

件のアデランスの広告、よーくみたら小さい字でこう書いてある。


「この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。」


なるほど。更新頻度が少ない故の対応というわけか。ブログを始めたものの更新するのが面倒くさくなってそのまま休眠中のサイトがたくさんあって、それを利用すべく宣伝広告を貼付けたというわけか。いや、もしくは嫌がるのを見越して更新頻度を上げさせようという魂胆が働いているのか。いずれにしても休眠ブログのひとつに数えられてしまったわけで、なんだか悔しい。結構な量も書いているし、それなりに頭を使って言葉をひねり出してきた身としては、ただボーッと見過すことはできるはずもない。


というわけで少し頻度を上げるとする。
ひとまず今回のアップロードで薬用シャンプーを消すことにしよう。
タイミングというのはいつ訪れるか本当にわからないものである。




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一杯のコーヒーと神戸マラソンのこと。 [あんなことやこんなこと]

どんなに忙しいときでもコーヒー味わいながらゆっくり飲む。そう決めたのがいつの日だったのかは思い出せないが、とにかく決めたことだけは憶えている。そしていつのまにかそうやって飲まなくなっていて、それがいつからなのかもよく思い出せない。どうやらボクは日々の仕事に忙殺されているらしい。為し崩し的にいろんな決めごとが疎かになってきている。これはまずい。自分の与り知らないところで何かが崩れてかけているのかもしれない。これが危機感っていうやつか。なるほど最近感じている不調はここらあたりから発生しているのかもしれない。意味とか結果とか根拠とかを考え過ぎて、その反動からか感覚的なものに頼っていた。こうして頼る感覚的なものほど当てにならないものはない。言葉であれこれ考えたことが土台になければ感覚は当てにならない。


なーんてことがさっきコーヒーを飲んでいるときにふと頭を過ったのでブログを書くことにした。


決めたことは守らなければ意味がない。守れないなら最初から決めるななどと、子どもでもわかる根性論的な言明をしたいのではもちろんない。已む無き事情で守れないときもありながら、それでも守ろうと努めることこそに意味がある。あっ、また意味なんて言葉を使ってしまった。つまりのところやっぱりここなんですね。文章を書いてても結局のところ意味とか結果とか根拠とかにとらわれるものだから、ちっともオモシロさが感じられない。オモシロくないからといって書かないわけにはいかないのだけど、幸か不幸かやらなければならない仕事が山積しているものだから、それを理由に自らで書くことを遠ざけている。わかっているのだけどどうにも指が動かないのである。

えっと、本は書くには書いてます。仕事の合間にカリカリと。しかし書き下ろしがこれほど苦しいとは思ってもみなくて、はっきりいって悪戦苦闘中。正直に言うと産みの苦しみを味わっている最中なのであります。自分と向き合うことがこれほどタフな作業だとは思わず、いったい自分は誰なのか、何者なのか、よくわからなくなってきてもう大変。脳震盪の後遺症を患ってから現役を引退するまでのもがいた2年間。自分の中ではとっくにケリをつけたつもりでいたのに、恨み辛みや後悔なんかのドロドロした感情がまるで膿みのように吹き出してきて、ありゃびっくり。個人差はあれどそれなりの経験が言葉になるまでには相当な時間がかかるもの。そう教えてくれたのは誰だったっけか。まあいい。つまりボクはあの時の経験をまだきちんと言語化できていない。したつもりになっていただけだった。その事実にはたと気がついて唖然として、これはしっかり腰を据えないとアカンぞと思い直したわけでございます。


もちろんそれでも書きます。当たり前ですが、書きます。書かないとあきませんし、心の奥の奥では書きたいと願っている。ボクが書くものに期待を抱いてくれる人がいる限り、決してやめません。だからこそ丁寧に書いてゆきたいと思うし、それにはまとまった体力がいる。知的なものも身体的なものも。

眦を決して覚悟を決めたところで、もう一杯、味わいながらゆっくりコーヒーを飲んで始めよう。さてと。


あっ、そうそう、神戸マラソンについても書かないといけないのだけれど、結論から言えばもう走らないことに決めました。タイムは昨年を大幅に下回る6時間30分で、古傷の左足首が痛んで後半はすべて歩いてしまったのでした。これほど不甲斐ない成績なら「また来年リベンジをするぞ」と気持ちが昂ってもおかしくないのですが、なぜだか湧いてこず、途中のある瞬間に「自分には向いていない」ってことを悟ってしまった。「悟る」などという言葉はやや大げさに過ぎるのかもしれませんが、つまりは確信を抱いてしまったわけです。その理由についてあれからずっと考え続けているのですけれど、まだ言葉にできず、そうこうしているうちにこれだけ時間が経ってしまったのでした。

すみません、一人勝手に得心したことだけを告げる文章ですよね。でも、今はそうとしか書けません。努力すれば誰でも楽しめるとか巷間では言われているけれど、ボクの周りではもうやめますという人も結構いるから、このあたりは商業的な臭いがしないでもない。いずれにしても向き不向きはどのスポーツにもあって、少なくともボクには向いていなかった。ゴール手前でたまたまみつけた神戸製鋼時代の後輩も同じようなことを言っていたし、昨年走った元日本代表の後輩は翌日から10日ほど脚を引きずる羽目になり「2度と走らない宣言」をしていたことは謹んでご報告しておきます。古傷だらけの身体は長時間ゆっくりと動き続けるマラソンには合うわないのだろうというのが、これら後輩たちと話す中で行き着いた結論です。とにもかくにも、ボクはもうマラソンは走りません。悪しからず、ではなく、参りました。


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また今年も走るのか、オレは。 [あんなことやこんなこと]

神戸マラソンまであと4日。大方の予想通り、今年もやっぱり走ることにしたのでした。


昨年は栄養補給のことなど全く考えずに臨んだために「ハンガーノック」状態になり、2時間を超えた辺りから全身がまるで鉛のように動かなくなった。先入観を作らないというか、42.195kmを走ることがどれほどのものかを身体そのもので感じたいと、「マラソン完走マニュアル」系の情報をなるべく詰め込まないようにしたのだが、少し度が過ぎたようである。必要最低限の情報はやはり知っておく方がよい。頭でっかちなまでに知っておく必要はないけれど、それなりにわかっておかないと楽しめるはずのあれこれを見過すことになる。どこをどう逆立ちしても人間は約2時間を超えて走り続けることは困難である。それを痛切に感じた初のフルマラソン参戦なのであった。


これだけたくさんの情報にまみれている現代においては、それらのいくつかを遮断するためにときに耳を塞ぐことが必要になる。言葉の情報に縛られてしまい身体感覚が鈍るということがあり得るからである。「感覚」を疎かにしているとだんだんその感度が衰えてくるから厄介きわまりない。しかし、その「感覚」は頼り過ぎればいとも簡単に騙される。言葉と感覚の関係って、まるでややこしい。


そう言えば、羽生善治の最新刊『直感力』(PHP新書)には「直感とは論理的思考が瞬時に行われるようなものだ」と書いてあった。幾重にも言葉を積み重ねないことには直感は働かない。つまり直感は言葉も情報もないゼロの状態から突如として生まれるわけではないということだ。言葉も情報もない状態で感じる直感、つまり「感覚」は頼りにならない。マラソンにおける体感に将棋における直感を対置するのは、やや無理筋かもしれないが、僕がここで言いたいのは「感覚的なもの」の実感ということで、そのニュアンスを汲み取っていただければ有り難い。身体感覚にはまやかしも多く、それを直感が働いたと勘違いしてしまうケースが多々あることだけは念頭に置いておくべきであると僕は思う。


ちなみに昨年の記録は5時間44分。折り返してからゴール直前までの距離をほとんど歩いたのだから致し方ない結果である。とは言え、つい数年前まで身体を使って生計を立ててきた元ラグビー選手にしては、とてもじゃないけど胸を張れない情けないタイムである。今年はこの記録を少しでも縮めたい。せめて4時間台でと意気込んではいるものの、こればかりは走ってみないことにはわからない。果たしてどうなることやら。期待と不安が入り交じってなんだかよくわからない心理状態になっているのが、本日の心境である。当日はかなり冷え込むとの予報なので、防寒をしっかりして臨みたいと思う。


(最後にこそっと付け加えておくが、「絶対に4時間台で走ってやる」という決意こそが力みを生むので敢えてこのような表現に留めたけれど、内心はそれに近い気持ちを持っている。「力を抜く」という所作は本当に難しい)


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読書から得る2つの悦び。 [あんなことやこんなこと]

一頃に比べてたくさんの本を読むようになった。現役時代、ラグビー選手にしてはよく読む方だったので、それに胡座をかいて余裕をかましていた。「読書家だよな、オレって」という自己満足的感懐に浸って気持ちよくなっていた。だがしかし、研究者となってからはこの「ラグビー選手にしては」というエクスキューズがきかなくなり(当然であるが)、読書が仕事になったわけである。そうなってからもう5年が経とうとしているのであるが、今さらながらに気づいたのは圧倒的に読書量が足りない、ということである。


「本を読まねば!」といつぞやから焦りを感じて手当り次第に読み始めたのだが、焦燥感に駆られて読んだこともあって内容がほとんど頭に残らない。そのことに苛立ちながらも、それでも「読まんと話にならんわな」と自らを鼓舞してページを捲ったけれど情況は変わらず。読めども読めども空転する。積み上がる本の高さと反比例して自らにあるわずかばかりの知性的なものが目減りしてゆくようなそんな気分。自己嫌悪。「もしかしてこの職業に向いていない?」という子どもじみた言い訳すら頭に浮かぶほどであった。


本は楽しむもの。自らが抱く興味や関心をもとに未開拓の世界を切り開くために読むものである。スポーツ関連の書籍雑誌を読むときはまさにそう。あらかじめ自覚できている興味や関心を携えて未知の世界に突入していく。「へぇ〜」の連発である。知らなかったことがわかる悦びは何とも言えずたまらない。


それとは別の楽しみもある。「乱読」は興味や関心そのものを醸成する。もともと興味や関心など皆無だったが、友人が薦めるからという理由で手に取り読み進めていく中で到達するオモシロさ。ここには予想を遥かに超えた、ではなく、予想を抱くことすらできなかった世界が広がっている。これまで生きてきた自分の価値観とは連続性のない世界。これは脳天から足先まで稲妻が突き抜けたような感じさえ覚える。


ようするに、これまでの自分と地続きであるか、そうでないかの違いである。「地図を片手にある程度の目星をつけて探検する」のと、「地図すらない世界をただ先達に従って探検する」のとの違い。読書がもたらす悦びは大きくこの2つに分けられるとボクは考えている。そして大切なのが両者のバランスをとることだ。自らの枠を広げること、それはボクにとっては「研究分野の理解を深めること」である。それと並行して、自らの外にあるものに意識を向けること、つまり「自我をいったん括弧に入れて無垢な心であらゆる場に踏み出すこと」を行ったり来たりすることが肝である。


おそらくボクは後者、つまり「地図すらない世界をただ先達に従って探検する」ことに比重を置き過ぎたのだと思う。自らが立つ場所を確認しなければ路頭に迷うのは当然だ。しかも「先達だと思しき人」に後から勝手に着いて行くのだから質が悪い。ここは「先達」ではなく「師匠」だろう。そんな基本的なことを失念するくらいに探検し続けたのだから迷子になるのは致し方ない。


この辺をちょっと整理した上でまた読んでいくことにする。実のところ今日は最近読んだある本の書評を書こうと思ったのだが、意図したところと反してこのような内容になってしまった。まあそんな日もある。それについてはいずれ、というか近日中に書くことにして、今から原稿書きに専念することにしよう。秋めいたカラッとした気候のもとで気分よく書ければよいのだけれど。その前にまずはひとっ走りしてもいいが。

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考えてからではなく考えるためにボクは書く。 [あんなことやこんなこと]

三連休の最終日はラグビー愛好会の練習と動感感覚研究会で静かに過ぎようとしている。窓の外を眺めると怪しげな雲が広がってきてなんだか不穏である。なので、そろそろ帰る支度をしようかと思ったが、久しぶりにブログを書く気になったのでこうしてPCに向かっているところである。天気の神様、頼むからこれを書き終えて家に帰るまで雨を降らすのをおやめください。


カレンダーを眺めていたらあと1週間で秋学期が始まるということに気がついた。本当に、時間が経つのはあっという間である。あと4ヶ月足らずで2012年も終わるし、37歳も半分が過ぎようとしている。この間いったいボクは何をしてきたのだろうと振り返ってみれば、それなりにあれこれとしてはいるが、それらほとんどが記憶に残っていない。いや、記憶に残っていないというのは正確な表現ではないな。なんだかとても印象が薄いのだ。朧げに覚えてはいるのだがインパクトが弱いというか。イメージとして残ってはいるのだが言葉にはできないというか。そんな感じである。


これには思い当たる節がある。こんな風にして自らの経験の印象が薄くなったのはおそらくブログを書かなくなったことに原因がある。もっと正確に言うと、ブログを書こうとする意欲が衰えたことに起因しているのではないかと思っている。体験や経験を言葉に置き換えようとする意欲が弱まったことで、記憶の一つ一つを象れないままに放置することが多くなり、輪郭がぼやけた断片的なものばかりになってしまった。


思い返せばブログで書く、書かねばならないという使命にかられていたときは、日常生活の隅々にまでアンテナを張り巡らせていた。「うん?」と感じる違和感をみつけてはそれについて考えるために文章を書いた。「考えてから」ではなく「考えるために」、とにかく書く。そう決めることによって、当初は違和感にしか過ぎなかったものが言葉を重ねるうちにストンと自分の中に入ってくる。記憶の中の所定の位置に明確な言葉を伴ってきちんと収まってくれる。それらが積み重なってボクという人間の記憶はおそらく形成されていたのだろうと思う。


こうした一連の記憶形成プロセスが、書かなくなったことによって、書くことへの意欲が薄れたことによって、うまく機能しなくなった。整理整頓どころか、曖昧なイメージのまま次々と記憶の貯蔵庫に放り込まれるのだから、散逸するのも当然である。散逸していることすらも散逸しているような状態が、おそらく現在のボクではないかと思うのである。


いつからかコンテンツばかりを気にするようになったのも、書くという営みに対するスタンスが微妙に変わっていったこの影響ではないかと思う。書く前に頭の中で整理して、それこそオチまでイメージしてから書き始めようとしている自分に気がついたときは「ハッ」となって落ち込んだ。ブログに限らずこうした書き方は絶対にするまい。予定調和なんぞくそくらえだと決め込んできたにもかかわらず、その罠にまんまと嵌っている自分をすぐには信じることができなかった。だからといって、そう気づいたところですぐに元に戻れるはずもなく、もやもやしてさらに書くことから遠ざかってしまっていた。


うん、ださいぞ、オレ。


目一杯に頑張ってこれらの経緯を前向きに解釈するとすれば、書くということを日常生活における大切な営みとして過ごしてきた人間が、書くことから遠ざかればどんな風な心境になるか。それが身を以てわかったということだ。でももういやです、あんな経験は。


てなわけで、また今日から「書く」を日常生活における大事な営みに据えることにします。この数ヶ月はこうして何度もブログ再開宣言をしてきたけれど、おそらく今回は本気です(たぶん)。


てなことを書いているあいだに雨がしとしとと降り出しました。
どうやらボクのささやかな(でもとても自分勝手な)お願いは聞き届けられなかったよう。さあ、帰ろう。



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8月に入ったというわけで。 [あんなことやこんなこと]

気がつけばもう8月に突入。台風接近の影響か、昨日までの暑さが少し和らいだ感じがする。ということでさっそくグラウンドに出てボールを蹴って、40mほどの距離を10本ダッシュして、現役時代も晩年によく取り組んだジャンプトレを久々に行ってみた。体重が軽くなったせいかいとも軽々と自分の身体が浮き上がったので、「まだまだオレも捨てたものやない」と気をよくしている。さすがに走りの方は久しく走ってなかったこともあって、身体中の関節が油切れを起こしているかのようなギクシャク感に「とほほ」となったが。

いずれにしても身体を使うことで得られる壮快感はたまらない。動かすまでにはそれなりの意志と決意が求められるが、いざ動かしてみるとやっぱり動かすもんだよなあ、となる。よくよく考えてみれば、会議や打ち合わせがないときはほぼ一日中研究室の中で読んだり書いたり、学生の相談に乗ったり、おしゃべりに興じたかと思うとちょっとした説教口調で語りを始めたりと、ほとんど頭と口と手だけしか使っていない。そりゃ、身体の流れも滞るってもんである。学期中は講義や実技があるので休み中に比べればまだ動かしている。とは言え、身体の望むまま伸びやかに使っているわけではないため、運動後の壮快感はまったく違う。講義や実技は仕事。だから当然と言えば当然なのだけれども、これほどまでに違ったかなあと、久しぶりに動かしてみて実感しているのであった。

「やらなければならないから、やる」のと「やりたいから、やる」の違いが身体に及ぼす影響は想像以上に大きい。ただ、だからといってすべてやりたいようにやればいいかというとそうではなくて、義務を果たしているからこそ自らの意志で取り組むことに充実感を覚えるわけであり、たぶんこれらは補完的な関係にある。そして、だんだん「やらなあかんこと」の義務性を娯楽的な要素へとアレンジしてゆく所作を身につけなければいけないんだろうなあ。

とかなんとか考えることはもうやめにして、とにかく気が向いたときには身体を動かすことにするのである。このゴチャゴチャ考えすぎるところがよくない。と、今のボクは思っている。

さてと、春学期が終わって「採点の祭典」に突入し、今まさにまっただ中なのだが、今週中には目処が立ちそうでホッとしている。ラクロスの合宿が日曜日からなのでそれまでに入力を済ませておきたく、少し早めに手を付けたのが功を奏したようである。眼の奥にどんよりとした疲れと背中にやや張りが残っているのは、たくさんのレポートを読み、答案を採点したから。首を回せばミシミシ音がするけれどこれもまた「採点の祭典」にはつきものの症状である。とほほのほ。

8月にも入ったことだし、ラクロス夏合宿が控えているとはいえ夏休みに入ったわけで、精神的にも少し余裕が生まれたということで、またぼちぼち書いていくことにする。気が向いたら書く、ということにしておいて、あまり肩に力を入れずに再開していきます。てなわけで今日はここまで。



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